大阪府泉南市、信達市場(しんだちいちば)、第2阪和道からも程近い住宅街の一角にその社は有る。古くは
熊野詣の道の傍らに面していたのであろうが今は住宅の隙間にやや隠れるような形となっている。
市場の名から推測出来るように古にはこの一帯が街道沿いの要所であり宿場町として機能し行商人達が集い
物品等の流通が盛んであったろう事が偲ばれる。名残りとして「信達宿本陣跡」や街道に映えたであろう美
しい‘藤’で有名な「野田藤(梶本邸)」などが有り、又、隣接して「大苗代」等という趣き深い地名も見える。
さて、往時には栄えたであろう街道の宿場も今ではすっかり閑静な住宅街であり離れて交通の要路も複数出
来たため車の往来もそう多くはない。古の道を住宅の脇間に曲がりくねくねと入り込んでいった先にこの社
は静かに佇んでいる。
参拝させて頂いた日は有り難い事に、秋の極めて日和の良い日で穏やかなそれでいて空高い気持ちの良い
時間を過ごす事が出来た。神社の脇を回りこむと裏手に公園のような空き地が広がり一服の時間を過ごす事
が出来る。思えば幼い頃遊んだ場所もこのような神社の公園であった。
小路から10m程の小さな参道を通った先にある境内と横長の切妻屋根の拝殿は一見地味な印象を与えながら
も凛とした風情を漂わせ集落の拠り所であったおおらかさと厳格さを併せ持っている。拝殿内は宝物庫とも
雅楽殿とも思えるような抜き通しの広間となっている。
この稲荷社の興味深い所はその御祭神であろう。一般的に稲荷社と言うと御祭神は宇迦之御魂神(うかのみ
たまのかみ)でありそのイメージは‘お稲荷さん’’キツネ‘である事が多いがこの市場稲荷神社のご祭神は豊宇
気毘売大神(とようけひめのおおかみ)である。
そしてそれを主張するかのように外縁の由緒書きにも次の様に記されている。
「稲荷の称号に付て 稲荷とは稲みのる、なるの意味であり農業を始めとする機織その他各産業の発展を
司る神を奉斎する社の義であって伊勢内宮の天照大神と共に日本の始祖の女神である豊受大神の御神徳
を称讃する尊号である。」
豊宇気毘売神 も 宇迦之御魂神 も共に食物、穀物の司神であり生産の神でも有る。故に他の大気都比売
(おほげつひめ)や 保食神(うけもち)とも古来しばしばその意が混同される事が多かった事も事実である。
宇迦之御魂神 は神としての性別は示されていないが古来より姫神とされる事が多かった。(*以前、記事に
上げた糸我稲荷神社では男神としているようであった)
その意味で稲荷社の主祭神が 豊宇気毘売神 である事は何らの違和を生ずるものでは無いのであろう。
拝殿前に鎮座する狛犬も堅実たる趣きを称えた狛犬であり多くの稲荷社に見る神使の狐では無い。
配神として、古来、淡輪を治める赤井神社、並びに牛神神社のそれぞれの守護神となっている。牛神と聞い
て牛頭天王との関連を考えたがこちらは古の風習から来ているようで須佐之男命(すさのおのみこと)とは
少し違のかも知れない。
スクーターを停めさせて頂いた裏手の公園から本殿の背姿が垣間見える。神様の居住まいを後ろから眺める
のも失礼かと思ったが、その公園を通して反対側には第2阪和道を抱えながら遠くに広がる田畑も見える。
秋の日和に輝く田畑は何ものにも変えがたくのどかで美しく古来農耕社会であった日本の佇まいを思わせる。
数百、数千の時を経て農耕・生産の神は今も昔もこうして人の営みを眺め続けているのだろう。